ブラタモリ・熊本城を見た感想|やりすぎ防御の謎
今回のブラタモリは熊本城編ということでその感想を書いてみました。
私は熊本には修学旅行の時で一度行ったことがある程度で熊本城にも行ったはずだがあまり記憶がないのです。
ただお城に行ってデカい建物だったという印象がありません。
日本3大名城にもなっており毎年150万人が訪れる観光名所にもなっています。
では、今回のブラタモリはまず午前7時にお城の南門から出発です。
熊本城は、加藤清正が戦国時代に築き、豊臣秀吉の家臣として活躍し虎退治としても有名です。
加藤清正は心配性で神経質
加藤清正の肖像画を見ると目尻が下がっていかにも心配性だと感じられます。
心配性であったために城の防衛に関してはやりすぎでいわゆる防衛マニアになってしまいました。
タモリさんたちが天守閣へ向かって歩いていくと途中に枡形といわれる石垣があります。敵がそこへ入ってくると前後左右どこからでも狙われるというものです。
ちなみに熊本城の面積は東京ドームの21個分もあり国内でも有数の大きなお城です。
竹の丸という広場に入るとそこから石垣が見えますが、もともとは櫓が多く立っていたようです。熊本城は5階建て以上の櫓が66個あり防御を固めていた。
さらに進んでいくとまた枡形の通路がありタモリさんも「曲がり疲れた」と嘆いていました。
闇り通路と呼ばれる暗闇で敵を待ち伏せして防御する。
大天守と小天守の間に空中トイレがあり、セッチンと呼ばれそこで和式風にまたがる。
石門という抜け穴でいざという時に北側へ脱出できるようにしていた。
南側の防御を固めたのは島津を恐れていたからです。
城下町の防御
島津は薩摩街道を通ることから城下町を守る必要があった。
古町の街が碁盤の目になっていたのは薩摩街道から奥へ入った場所に寺を作り兵を待機させていた。
古町の隣にある新町に行く途中に「せんば橋」がある。
せんば山の痕跡を見に行き、城の外堀を掘った土で土塁を作った。土塁をせんば山といい、タヌキがいたそうです。
お城の中に敢えて島津が通る街道を作ったのは、防御の固い城を見せることによる敵の戦意を喪失させるためであった。
以上がやりすぎ防御の熊本城でした。
まとめ
熊本へは行こうとすれば九州新幹線で1時間とちょっとで行けるのにわざわざ熊本城を見に行こうなんて発想はありませでした。
しかし、若い時に見ても何も感じなかったお城が、ブラタモリを見た後はすごい建造物だとわかり、お城だけでも見る価値はあると感じました!